(日本経済新聞)

五・七・五 ラテンの四季を詠みにけり
アルゼンチンに根付いた俳句の歴史 井尻香代子

日本の伝統詩型である俳句は、戦前から日系移民が多かった南米でもさかんだ。なかでもアルゼンチンは、国民的な作家が俳句に傾倒したことで人々に浸透したという経緯がある。俳句は17音の詩型だが、スペイン語でも五七五の音律になっているものが多い。

アルゼンチンでは現地詩人のハイク集が数多く出版されている

アルゼンチンには四季がある。春にはハカランダの薄紫の花が一斉に咲き、一斉に散る。だから花鳥諷詠(かちょうふうえい)がなじんだのだろう。私は十数年前から毎年のように現地を訪れ、この地の「ハイク」を追いかけてきた。

もともと私はスペイン語圏の文学と韻律分析が専門だ。たまたま立ち寄ったブエノスアイレスの日本大使館で、地元詩人らのハイク作品集に出合った。ページをめくるとその美しい調べに驚いた。

例えば〈Besa la luna/al beberla mi toche/en charcos de agua.〉(口づけて驢馬(ろば)は水面(みなも)の月を飲む)。昭和初期の日系移民、久保田古丹の最後の弟子だった詩人の作品。家族で夏を過ごす南部パタゴニアの風景を詠んでいる。

内陸都市コルドバの作家は〈Vuelo de jote./Su sombra se desliza/por el faldeo.〉(コンドルの影滑りゆく山の襞(ひだ))と詠んだ。雄大なアンデス山脈の写生の中に繊細な観察が光る。

アルゼンチンに俳句が入ったのは明治後期。隣国ブラジルに比べると移民社会が小さく、現地語での普及をめざしたのは自然な流れだろう。中心になったのは久保田と崎原風子の2人だった。

久保田は現地の邦字紙「らぷらた報知」の俳壇の選者を務め、崎原はそこに投句していた。「らぷらた報知」の俳壇は自在な句風の加藤楸邨が選者をしていたこともあり、伝統系・現代系両方の俳人を生み出すことになった。

そこからいかにしてスペイン語ハイクの隆盛につながったのか。その立役者がホルヘ・ルイス・ボルヘスやフリオ・コルタサルらラテンアメリカ文学を代表する作家たちだったといえば、外国文学に関心のある人は驚くかもしれない。新しい詩の表現方法を模索していた彼らがたどり着いたのが、17音にイメージを凝縮させる俳句だった。

特にコルタサルは芭蕉に傾倒し、自身の詩集のタイトルを「秋の暮」としたほどだ。〈この道を行く人なしに秋の暮〉から取っているのである。国民作家の影響力は大きく、コルタサルの話をラジオで聞いて感動し、ハイクを始めたという人も少なくない。

アルゼンチン人が五七五の韻律を受け入れたのには、伝統的な詩と通じるものがあったからだ。スペイン語圏には小唄や民謡になっているセギディリャという詩型があり、それが七五調なのだ。10人のアルゼンチン人にハイクを朗読してもらったことがある。その調子を分析すると、見事にスペイン短詩のアクセントが踏まえられていた。

2014年に数人で句をつなげる連句のセミナーを現地で4回開いた。どの会場も盛況で、なかには6時間バスで揺られて来場した参加者もいた。スペイン語圏の人々が詩にかける熱情に心打たれた。

英語圏と比べてスペイン語圏の俳壇との交流は遅れていた。しかし私が選者を務める熊本の「草枕」国際俳句大会外国語部門ではスペイン語で投句できるようにするなど少しずつ接点を増やしている。これまでの研究は「アルゼンチンに渡った俳句」(丸善出版)として今春刊行できたので、これをスペイン語訳し、さらに交流を深めたい。

(いじり・かよこ=京都産業大学文化学部長)

投稿者 荒尾保一