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南米の建築と都市

ブラジル・アルゼンチン・チリ、3国3様の建築の個性。建築史家・倉方俊輔さんが語る南米の建築と都市

エディター&ライター

萩原詩子
萩原詩子

ブラジルの巨匠オスカー・ニーマイヤーの晩年の傑作「ニテロイ現代美術館」

建築史家・倉方俊輔さん(大阪市立大学准教授)が建築を通して世界の都市を語る、全16回のロングランセミナー(Club Tap主催)。写真はすべて、倉方さんが自ら撮影してきたものだ。第3回は地球の反対側、南米の3か国、ブラジル・アルゼンチン・チリを巡る。

同じ大陸にありながら、ブラジルはポルトガル領、アルゼンチンとチリはスペイン領に置かれた時代を経て独自の歴史を歩んできた。それぞれに度重なる政変を経験している。
倉方さんは言う。「建築はそもそも権力のありように関わらざるを得ないものですが、政治的な転換が少なくない南米では、その影響が顕著に現れてきます」。

ブラジルの建築家といえば、まず名前が挙がるのがオスカー・ニーマイヤーだ。1907年生まれなので、日本人では前川國男(1905-1986)、丹下健三(1913-2005)らと同世代だ。近代建築三大巨匠の一人、ル・コルビュジエに師事し、32歳でニューヨーク万博(1939年)のブラジル館を手掛けるなど、早くから頭角をあらわした。

新首都ブラジリアの建設にあたっては、当時のジュセリーノ・クビチェック大統領との関係の深さから、主要施設のほとんどを任されている。しかし、1964年に起きたクーデターによってブラジルは軍政に移行。再び民主化するまでの約20年もの間、ニーマイヤーは傍流に置かれてしまう。

それでも、ニーマイヤーは屈しなかった。104歳まで生き、亡くなる直前まで活躍を続けている。晩年の代表作「ニテロイ現代美術館」(1996年)は、なんと89歳のときの作品である。

「ニテロイ現代美術館は、大家となったニーマイヤーが自由につくらせてもらった作品で、彼の作風がストレートに現れています」と倉方さん。
「一度見たら忘れられない、アイコニックな建築。まるで巨大な彫刻のようですが、その形態には説得力があります。大地から連続するような、おおらかなスロープを上っていくと、自然の中の道をたどっているかのように感じられる。移り変わる風景を見ながら、いつの間にか建物の中に引き入れられている。建物の周囲を巡る窓の下は、そこに腰掛けて海を眺められるようになっていて、自然と人間を近づける機能も持っています」。

リオデジャネイロ近郊にあるニテロイ現代美術館(1996)。大きくしなるような曲線を描くスロープを上って入り口に至る。右下の写真が海を見下ろす窓(以下、撮影はすべて倉方俊輔)リオデジャネイロ近郊にあるニテロイ現代美術館(1996)。大きくしなるような曲線を描くスロープを上って入り口に至る。右下の写真が海を見下ろす窓(以下、撮影はすべて倉方俊輔)

浮遊するモダニズム。ニーマイヤーが生涯追求し続けた独自の曲線

同時代の丹下らと同じく、ニーマイヤーの建築も「モダニズム」に位置付けられるが、「世界のほかのモダニズムとは一線を画しています」と倉方さんは言う。「モダニズムは機能から形態を導くため、点と点を最短距離で結ぶ、直線や円を多用します。しかし、ニーマイヤーは初期の作品から自由曲線を使っている。その意味は、機能だけからは導けません」。

その曲線の意味は、実際に体験してみれば分かるという。「自然環境と人間の動きによって、必然的に決まった曲線なんだと実感できる。建築とは、人間の体と自然の間に介在するものです。ニーマイヤーは、その根源を追求してきた人と感じます」。

ニーマイヤーは生粋のリオっ子で、軍政時代を除いて生涯リオデジャネイロで暮らした。「リオの街からは人間の欲求に忠実で、力やお金をまっすぐに評価する姿勢が感じられます。タテマエ重視の日本とは対照的。建築も合理的で力強い。その力の表現そのものが、都市をかたちづくっています」。

例えば、エドガー・フォンセカの設計によって建てられた「リオデジャネイロ大聖堂」(1976年)は、約2万人もを収容する巨大な教会。古代文明のマヤやアステカのピラミッドを模した円錐形の建築だ。「超高層のオフィスビルの中に建っています。それらが象徴する世俗の力に対する、救いの力。頼るべきものが平易に表現されています」。

そんな中で、道行く人にほっとした印象を与えるのは、ニーマイヤーがル・コルビュジエの構想に基づいて設計した「ブラジル旧教育保健省庁舎」(1943年)だ。「低層部にピロティがあって、軽快で浮遊感がある。重力に打ち勝つというより、はじめから重力を気にせずにつくられたかのように見えます。この浮遊感こそ、ニーマイヤーがコルビュジエから学んだものだったのでしょう。この建物には曲線はほとんど使われていませんが、角が少しカーブしているところなどに、ニーマイヤーらしさが現れています」。

ニーマイヤーの作品は、リオやブラジリアだけでなく、サンパウロでもまとまって見ることができる。それが「ラテンアメリカ記念公園」だ。「名前が示す通り、ラテンアメリカがまとまって、これからの世界を担っていこう、という気概を示す公園です。それを、ブラジルがリードするんだ、というわけです」。ニーマイヤーはここで、ホールや図書館、議場など6つの建築を手掛けている。

「ホールも図書館も議場も、内部には大きな空間さえあればいい。建築家はその空間を包む造形に専念できます。ニーマイヤーは幸せな建築家ですね。
ここでもニーマイヤーは、多様な曲線を駆使しています。その形態が、商業的でもなく政治的でもない、本当に公的な建築だという印象を与えるものになっている。経済情勢や政治体制に左右されることのない、永続的な造形が目指されています。彼にとってモダニズムとは、かつての力に対する新たな力ではなく、社会的な全体性から常に浮遊した存在だったのでしょう。夢や個に近しい領分です。それが実際に目の前に建っていることが、希望の余地になりえます」。

左上2点/リオデジャネイロ大聖堂(1976)右上2点/ブラジル旧教育保健省庁舎(1943)下2点/ラテンアメリカ記念公園(1988)。左が市民広場、右がホール。手前に見える手の形のモニュメントもニーマイヤーの作品。「手からラテンアメリカの形に血を流した表現。苦渋の歴史を乗り越えてひとつになろうというメッセージがこめられています」と倉方さん左上2点/リオデジャネイロ大聖堂(1976)右上2点/ブラジル旧教育保健省庁舎(1943)下2点/ラテンアメリカ記念公園(1988)。左が市民広場、右がホール。手前に見える手の形のモニュメントもニーマイヤーの作品。「手からラテンアメリカの形に血を流した表現。苦渋の歴史を乗り越えてひとつになろうというメッセージがこめられています」と倉方さん

リオデジャネイロの建築とはひと味異なる、モダニズム建築サンパウロ派

リオのモダニズム建築はニーマイヤーの影響下にあるが、サンパウロは違う。「サンパウロとリオの対比は、日本でいえば東京と大阪、中国なら北京と上海にたとえられるでしょうか。リオはカーニバルに象徴されるように情熱的な都市ですが、サンパウロには理知的な印象があります。モダニズム建築も、リオデジャネイロ派とサンパウロ派に分けられます」。

そのサンパウロ派を牽引した建築家が、ジョアン・アルティガス(1915-1985)だ。自ら教鞭を執ったサンパウロ大学で、建築学科棟(1961年)を設計している。

「コンクリート打ち放しの巨大な箱を、細い柱だけで支えているように見せた外観は圧巻です。内部空間は全体がスロープでつながり、閉じた部屋は外周に配置されていて、内側は巨大なワンルームになっています。屋根はかかっているけれど外気は遮断されておらず、大きな天窓から自然光が射し込みます。
建築でありながら都市的で、シンプルでありながら多様な機能を包含する。50年以上前の建築ですが、今見ても鮮烈です。湿度の高い日本の気候ではそのまま真似できないものであるだけに」。

アルティガスと同世代のリナ・ボ・バルジ(1914-1992)はイタリアに生まれ、第二次世界大戦後の1946年に夫とともにブラジルに移住し、ブラジルで建築家としてのキャリアを築いた。その代表作が「サンパウロ美術館」(1968年)だ。

「巨大な支柱がガラスの箱をただ持ち上げているだけの、極めてシンプルな外観です。ガラスの箱の下に屋台が出ていたりして、サンパウロの活気のある場所に似つかわしい。建物がシンプルだからこそ、人の自由な活動が育まれるんですね。大胆な構造は、大胆すぎるがゆえに、かえって自然の一部のように感じられます。揺るぎないからこそ、使い倒すことができます」。

パウロ・メンデス・ダ・ローシャ(1928-)は、“建築界のノーベル賞”といわれるプリツカー賞にも輝いた、アルティガスの後継者だ。1905年に建築された州立ピナコテッカ美術館の改修(1993年)では、装飾をわざと剥がすなどして大胆に改変し、様式建築の格式と現代的な空間を両立させた。

また、「パトリアルカ広場」の整備(2002年)では、広場から車を排除し、人々の拠り所となる大きな庇を設けた。「ブラジル的な大胆な手法を用いつつ、人々が自然に集まるような公共空間をつくり出すところは、アルティガスから受け継いだものといえるでしょう」。

上2点/サンパウロ大学建築学科棟(1961)左下/サンパウロ美術館(1968)右下2点/州立ピナコテッカ美術館(1905/1993)上2点/サンパウロ大学建築学科棟(1961)左下/サンパウロ美術館(1968)右下2点/州立ピナコテッカ美術館(1905/1993)

20世紀初頭の華やかな建物が残る“南米のパリ”、ブエノスアイレス

アルゼンチンの首都、ブエノスアイレスは“南米のパリ”と呼ばれる。アルゼンチンはもともとスペインの植民地だが、19世紀末から20世紀初めにかけて、イギリスやフランス、イタリアから多くの人々が移住した。
「移民の国といわれるアメリカでも、一世代の移民は多くて全人口の1割ぐらいですが、当時のアルゼンチンでは約3割に達したといわれます。そのため、南米の中でもコスモポリタンな雰囲気が漂うお国柄です」。

「移民の流入に伴って経済が急拡大したため、街並みはスペイン的ではなくフランス的。だから“南米のパリ”なんですね。その象徴がメトロポリタン大聖堂(1827年)で、外観は新古典主義、内部はバロック様式という、当時フランスで流行したスタイルを採っています」。

国会議事堂(1906年)とコロン劇場(1908年)は、イタリア移民の建築家、ビクトール・メアノが手掛けた。「この頃のアルゼンチンは牛肉や小麦の輸出で外貨を稼ぎ、最盛期を迎えていました。南米一のオペラ劇場といわれるコロン劇場は、いかにも裕福な人々の社交の場にふさわしい、きらびやかな建物です」。

“世界で2番目に美しい本屋”という称号を持つ「エル・アテネオ書店」は、はじめ劇場として、1919年に建てられた。
「その10年後、1929年に始まる世界大恐慌の影響を受け、工業化が進んでいなかったアルゼンチンは没落していきます。そのおかげで、20世紀初頭までの華やかな街並みが、枯れた雰囲気を漂わせて今も残っています。いっぽうで、第二次世界大戦後にモダニズムが世界の主流になってからの建築は、平均的に質が高いとは言えません。とはいえ、アルゼンチン国立図書館(1962〜92年)のようにブルータルな魅力を持つ建築もあって、私は好きですが」。

左上2点/メトロポリタン大聖堂(1827)右上2点/コロン劇場(1827)左下/エル・アテネオ書店(1919)右下/アルゼンチン国立図書館(1962〜92)左上2点/メトロポリタン大聖堂(1827)右上2点/コロン劇場(1827)左下/エル・アテネオ書店(1919)右下/アルゼンチン国立図書館(1962〜92)

プリツカー賞最年少受賞者、アレハンドロ・アラヴェナを生んだ国・チリ

アンデス山脈と太平洋に挟まれた、南北に細長い国、チリ。「私たち日本人にとって、南米の中でも馴染みの薄い国ではないでしょうか」と倉方さんは言う。

「しかし、実際に首都サンティアゴを訪れてみると、郊外に大学のキャンパスや感じのいい団地があって、日本の都市に通じる風景です。チリも政変を繰り返していますが、ブラジルのように多極性を持った大国でなく、アルゼンチンの建築のまとまりのなさとも違って、良くも悪くも一定のエリートの知的伝統が芯で揺らがない様子が感じられます。例えば、メモリー・ミュージアム(2007年)。ピノチェト独裁政権下の人権侵害の犠牲者に捧げられた博物館です。ブラジルのサンパウロ派の建築家がコンペに勝って設計を手がけました。展示も建築も、直接的な表現を抑制することで効果を上げています」

そんなチリの近代的な伝統に生を受けた世界的建築家が、プリツカー賞の最年少受賞者であるアレハンドロ・アラヴェナ(1965-)だ。「イノヴェーション・センター」(2014年)のあるカトリック大学はアラヴェナの母校であり、そこで教鞭も執っている。

「宗教の大学がそのまま現代の総合大学に引き継がれているのが南米らしいところです。ヨーロッパのカトリックの伝統が新天地に移植され、独自に育まれています。大学の地位が高く、施設も立派です。まるで中世からの連続のように」。

「イノヴェーション・センター」の外観は閉鎖的な印象だが、内部は巨大な吹き抜けを囲んで各室がオープンな関係になっている。「離れた部屋同士でも、お互いの様子が見える。最先端のイノヴェーションが相互に交流し、化学反応を生むような構成になっています。デジタル社会の勝ち目は、実は、人と人との関係にある。そういう意味で、とても刺激的な建物です」

同じくアラヴェナの「シャム・タワー」(2005年)は「木とガラスという異質な素材を等価に扱っている点、素材と幾何学的な形態の組み合わせが斬新です。とても理知的な、ドライな操作に感心しました。知的で爽やかで、でも寸法や素材にとてもこだわっていることがわかります」

「サンティアゴでは、ごく普通のビルのセンスがいいな、と感心しました。日本でもヴィンテージマンションとして人気が出そうな建物があります。街に落ち着いた、文化的な空気が流れている。エネルギッシュなブラジル、レトロなアルゼンチンに対して、モダンなチリ。それぞれの国・都市が備えている場所性や、歩んできた歴史が、建築に反映され、街並みを育むんですね。その関係が鮮やかに浮かび上がる旅でした」。

取材協力:ClubTap
https://www.facebook.com/CLUB-TAP-896976620692306/

左上がメモリー・ミュージアム(2007)、他3点はチリ・カトリック大学。右上がシャム・タワー(2005)、下2点がイノヴェーション・センター(2014)左上がメモリー・ミュージアム(2007)、他3点はチリ・カトリック大学。右上がシャム・タワー(2005)、下2点がイノヴェーション・センター(2014)
投稿者 荒尾保一

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